桐島洋子、千葉敦子、上野千鶴子。私が中学の時に出会い、繰り返し読んだ著作の担い手たちだ。3人の子を未婚で育てながら、美術や料理にも精通したエッセイストの桐島洋子。乳がん末期でニューヨークに単身移住し、最期まで人の尊厳を発信し続けたジャーナリスト・千葉敦子。当事者視点でフェミニズムやケアの領域を分け入る、女性学のパイオニア・上野千鶴子。
この3人に共通項があるなら、社会を多面的に眺め、自らの人生を選び、筆をとり続けたことだろうか。
私自身、大学では「女性学」を専攻した。政治と経済を中心に学べる課程の中で、唯一、前のめりになって学んだ学問だった。性的役割、家族のあり方、抑圧や社会進出。それらの変容は、こぼれ落ちる砂を何度もかき集めるように、先人たちが、つぶさに積み上げてきた努力によってもたらされたものだと知った。
先日、函館で女性活躍推進セミナーが開催された。ダイバーシティー(多様性)経営を展開する企業4社の幹部による座談会に加え、参加者とのワークショップがあり、私は進行役を受け持った。「男女の賃金格差が大きいと初めて認識した」「女性管理職が少ないのは、男性側の(女性は管理職を避けたがると考える)『無意識の配慮』があるからでは」「自分には『女性活躍』は関係ない」など、さまざまな意見が出た。
男か女か、という二元論ではない。先の文筆家たちが主体的に人生を歩んだように、めいめいが自分ごととして対話するのは、実に肝要だ。対話が変われば、関係性が変わり、風土が変わる。そう信じている。
泉 花奈(まちの編集者・函館)
2022/9//7 北海道新聞朝刊 コラム「朝の食卓」より一部編集